時は1943年1月29日
西の「スターリングラード」東の「ガダルカナル」と言われた
今次大戦の分水嶺
ミッドウェー海戦などの航空決戦で空母を損失した日本海軍は、
ラバウルより更に南方に地上の航空基地が必要だった。
なぜなら、ゼロ戦の実用行動半径は最大で1,000kmであり、
アメリカとオーストラリア分断にはちょうどこのガダルカナルに航空基地を建設することが急務であった。
だが、その建設中の基地は島に上陸してきたアメリカ軍の手に落ちてしまう。
ガダルカナル島の飛行場奪還のため、
一木清直大佐率いる大本営直轄の一木支隊(第7師団の歩兵第28連隊)約2,300名
川口清健少将率いる支隊(第35旅団司令部および歩兵第124連隊基幹)約4,000名、
更には百武晴吉中将以下の第17軍戦闘司令部がガダルカナル島へ進出し、第2師団(師団長・丸山政男中将)
11月10日、佐野忠義中将率いる第38師団 先遣隊が上陸した。
戦局は我に利あらず、物量に勝る米英航空機に補給路を絶たれ、
皇軍ははや弾薬、食料も欠乏し予断を許さぬ戦況を迎えた。
おりしも我が偵察機はガダルカナル島に遠くないサンクリストバル島南方にて敵艦隊の艦影を補足した。
その数護衛空母2、重巡洋艦3、軽巡洋艦3、駆逐艦8。
これは敵のガダルカナル島への増援部隊を輸送する護送船団であった。
ガダルカナルに残る友軍を無事救出するためにも、敵の増援艦隊を島に近づけてはならない。
ラバウル航空基地の第701航空隊(美幌航空隊) 第705航空隊(三沢航空隊)の
各陸攻部隊に敵増援艦隊殲滅を期し出撃の命下る。
戦友の脱出とその命運はこの一本の魚雷に託された。
「コンタークツ!」
「第一、第二始動! 回せ〜〜〜〜!」
轟々たる爆音をとどろかせ、必殺の航空魚雷を懐に抱いた
一式陸攻の編隊が薄暮の太平洋洋上はるか南の敵艦隊をめざす。